ポール・デュカス
《『ラ・ペリ』の前奏用ファンファーレ》は、後述する舞踏詩《ラ・ペリ》の前奏曲として、ポール・デュカスにより1912年に作曲された。題名に「《ラ・ペリ》の前奏用」とあるが、演奏会や式典の開始時に独立で演奏されることも多い。トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバによる華々しい短曲である。
トランペット・トロンボーン・チューバとホルンに分かれた連符の掛け合いに始まり、ホルンが旋律を導き、トランペットが応える。独特なカデンツ(和音進行)の後、曲調は暗転、トランペットの旋律による静かな中間部に入る。直ぐに冒頭の掛け合いが繰り返され、輝かしいカデンツで終わる。色とりどりなプログラムの始まりに、胸を躍らせていただければ幸いである。
デュカス最後のバレエ音楽・管弦楽曲であり、ドイツ・ロマン派を象徴するソナタ・アレグロ形式や登場人物のモチーフと、フランス印象派の和音が融合した名作である。
デュカスは、当時活躍していたダンサー、トロハノワのため、1911年に(ファンファーレを除き)曲を完成させた。ちょうどその頃、当時パリで流行していたロシア・バレエ団の支配人ディアギレフがデュカスの新作に興味を持ち、ロシア・バレエ団での初演を持ちかけた。しかしながら二人の交渉は難航し、結局リハーサル半ばにして公演は中止となってしまった。そこでトロハノワは翌年、振付やセットを一新し、「トロハノワのダンスコンサート」にて初演を行った。そしてこの公演のため、デュカスはファンファーレを作曲したのであった。ディアギレフとのひと悶着があったからこそ、この華やかなファンファーレが生まれたといえよう。
参考までに、人間の不老不死への執着を描くペルシャ神話を基にした、バレエのあらすじを紹介する。
イスカンデル王は、不老不死の花を求め、ペルシャ中をさまよっていた。地の果ての神殿にたどり着き、とうとう不老不死の蓮の花を抱いて眠る仙女を見つけた。イスカンデル王が仙女から花を奪うと、花は王の世俗的な欲望に反応して光を発し、仙女は目を覚ました。楽土に戻るため花が必要な仙女は、王から花を取り戻そうとした。しかし、念願の不老不死を手にした王はこれを拒んだ。すると仙女は踊りだした。王は踊る仙女に魅了され、とうとう花を差し出してしまった。花を取り戻した仙女は空に帰っていき、虚無に包まれた王には死が待ち構えていた。}
1865年パリ出身。新聞・雑誌に数多くの音楽評論を発表しながら、パリ音楽院で教授を務めた。もともとの作曲数が少なかったうえ、完璧主義による自己批判により生前大半の作品を廃棄してしまったことから今日知られる作品の数は少ない。しかしながら、《魔法使いの弟子》《ラ・ペリ》のように、自己批判を耐え抜き現存する作品は完成度の高いものばかりである。