本リポジトリは、東京のアマチュアオーケストラ Orchestra Est が提供する曲目解説や各種資料のアーカイブです。
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2021年5月30日 発行 | 2021年5月30日 掲載 | 全文 PDF をダウンロード

アルト・サクソフォンと11の楽器のための室内小協奏曲

ジャック・イベール

原口 純也(クラリネット)

はじめに

突然ではあるが、サックス、あるいはサクソフォンという言葉を耳にしたとき、あなたはどんな音楽をイメージするだろうか。

ビッグバンドやロックでの泣き叫ぶような音楽、ジャズセッションの中で語り掛ける渋くも暖かい音楽、あるいは吹奏楽曲で輝く甘く優しい音楽—— この楽器ほど人によって異なるイメージを持つ楽器も少ないであろう。その多様性、演奏者の表現する音楽を前面に押し出せる自由なスタイルこそが、この楽器が聴く人を魅了する一番の理由なのかもしれない。

その多様な色彩の内、本日演奏される室内小協奏曲はクラシカル・サクソフォンと呼ばれるジャンルにおいて重要な役割を果たしている。

本稿では、イベールを含む3人の登場人物を中心として、本作品がクラシカル・サクソフォン界に与えた影響を紹介したい。本稿を読んで、齊藤健太氏による演奏を、ますますのイメージをふくらませながら聴いていただけたら、またクラシックにおけるサクソフォンに対してより一層の関心を持っていただけたら幸いである。

登場人物

本章では本作品に関わる3人の登場人物を紹介する。主たる登場人物は、本作品を作曲したジャック・イベールとそれに関わるクラシカル・サクソフォンの歴史を代表する2人のサクソフォーン奏者である。次章ではこの3人を中心として、本作品がサクソフォンの歴史に与えた影響を解説したい。

ジャック・イベール

1890年8月15日フランスのパリに生まれる。ジャズに通ずるリズムや音階を取り入れた作風はしばしば、軽妙、洒落、新鮮、洗練といった言葉で評されている。

マルセル・ミュール

1901年6月24日フランスのノルマンディー地方にあるオーブに生まれる。クラシカル・サクソフォンにおける父 «le patron» とされ、ヴィブラート奏法、サクソフォン四重奏団の結成など現代におけるクラシカル・サクソフォンの立ち位置を確立した人物として知られる。

シーグルト・ラッシャー

1907年5月15日ドイツのエルバーフェルトに生まれる。ミュールの近代サクソフォン奏法と比較して、ラッシャーはフラジオレット音域の拡大など現代サクソフォン奏者の始祖とされる。初期の有名な独奏曲は彼のために書かれているものが多く、本日演奏される曲もその例に漏れない。

作曲の背景

本章では、本作品が書かれた当時のサクソフォンの立ち位置を振り返りながら、本作品がクラシカル・サクソフォンの歴史に与えた影響を考察したい。

そもそも、サクソフォンという楽器が開発されたのは、本作品が作曲される約1世紀前、1846年頃楽器製作職人のアドルフ・サックスによるものであった。当時は軍楽隊(吹奏楽の一形態)の中で木管と金管のサウンドを混ぜるために用いられた。同時期にこの楽器はオーケストラでもソロ楽器として用いられ(ビゼーの付随音楽《アルルの女》、マスネの歌劇《エルディアード》など)、パリ国立高等音楽院でもアドルフ・サックスを教授としたサクソフォン科が開設されるなど一度は主要な楽器となりつつあったものの、19世紀末には財政上の理由で閉鎖され、一度は歴史上から影を潜めてしまう。

この中で再びクラシカル・サクソフォンを表舞台に立たせたのが、先ほど紹介したマルセル・ミュール、そしてシーグルト・ラッシャーである。ミュールは、最初のサクソフォン四重奏団であるギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団を結成し、多くの作曲家がこの四重奏団のためにオリジナルの四重奏曲を作曲し、サクソフォンの室内楽における可能性を確立した。一方でラッシャーは卓越した技術をもって、グラズノフやダールらの委嘱作品を演奏し、現代における主要なサクソフォンのレパートリーを築き上げた。

1933年、ストラスブールで開催された音楽祭でのラッシャーの演奏に感銘を受けたソプラノ歌手マリー・フロイントが、イベールに対して彼のために作品を作曲するよう依頼したのが本作品の作曲の契機となっている。

イベールはサクソフォンのための曲を作るのはこれが初めてであったため、作曲にあたってミュールに助言を求め試奏を依頼している。曲は1935年に完成し、当初の予定通りラッシャーに献呈されたが、イベールは曲の誕生に大いに力のあったミュールが演奏することを望み、ミュールによる放送初演がラッシャーによる公的初演に先駆けて行われた。

本作品の後、ミュールは10年も経たずにパリ音楽院のサクソフォン科教授としてアドルフ・サックスの後任の座につき、現在基本とされているサクソフォンの奏法の基礎を築き上げている。さらにシーグルト・ラッシャーはフラジオレット音域の開拓やスラップタンギングといった特殊奏法をクラシックに取り入れるなど、サクソフォンの可能性を広げる奏法が現代まで受け継がれている。

このように、本作品はクラシカル・サクソフォンが発展する契機となっており、今日においてもサクソフォン奏者の重要なレパートリーである頷ける傑作であるといえよう。

日本におけるサクソフォン文化

前章で述べたように、クラシカル・サクソフォンはパリ国立高等音楽院を始めとした、フランスを中心に発展した。一方で、日本においても雲井雅人氏、須川展也氏を始めとする世界に誇る数多くのクラシカル・サクソフォン奏者が活躍している。これは——アドルフ・サックスが軍楽隊に導入したことでフランスでこの楽器が発展したように——日本における吹奏楽文化が発展していることが要因の一つであろう。

2019年には、世界的にも有名なアドルフ・サックス国際コンクールにおいて、故原博巳氏に次ぐ17年ぶりの日本人優勝者として、齊藤健太氏が歴史に名を刻んだ。本日は、現在最も優れたサクソフォン奏者の一人である齊藤健太氏による、クラシカル・サクソフォンにおける珠玉の一品をお楽しみいただきたい。

曲目解説

第1楽章

Allegro con moto

ソナタ形式。金管のファンファーレによる序奏の後、独奏により陽気な第一主題が奏される。ポリリズム的な推移部を経て、管弦楽のトゥッティにより第一主題がffによって確保された後、独奏による第二主題が演奏される。これは弦によって繰り返され、各木管楽器による第一主題の掛け合いが行われ、展開部に入る。これに弦楽器がfによって奏でられて第二主題の動機がトランペットで演奏された後、サクソフォンにより第一主題が奏でられた後、高揚した気分のまま第1楽章が幕を閉じる。

第2楽章

Larghetto

4分の3拍子。サラバンド風の楽章。サクソフォンの「朗唱のような」(quasi recitativo)無伴奏の独奏で始まり、弦楽器の伴奏と共に主題へとつながる。ついで木管群による副主題が現れ、弦楽器により高揚された後、サクソフォンが主題の断片をつぶやきながら、解決しないまま、アタッカでアニマート・モルトにつながる。

Animato molto

ロンド形式。無窮動風の主題と奇想曲風の主題が交互に繰り返されることで構成される。この主題は転調されながら様々な調性で奏され、第2楽章の主題も交えながらサクソフォンによるカデンツァに突入する。カデンツァの後冒頭が再現され、イ長調により華やかに終演する。

参考文献

  1. Braam de Villiers. The development of the saxo- phone 1850-1950: Its influence on performance and the classical repertory. LAP LAMBERT Academic Publishing, 2016.
  2. こととね. サクソフォン演奏技法の変遷, 1997. https://www.kototone.jp/ongaku/saxo/saxo.html.
  3. Wikipedia contributors. Sigurd Raschèr — Wikipedia, the free encyclopedia, 2021年5月 5日閲覧. https://en.wikipedia.org/.
  4. フリー百科事典ウィキペディア日本語版. マルセル・ミュール, 2021年5月5日閲覧. https://ja.wikipedia.org/.
  5. フリー百科事典ウィキペディア日本語版. ジャック・イベール, 2021年5月5日閲覧. https://ja.wikipedia.org/.
  6. フリー百科事典ウィキペディア日本語版. 室内小協奏曲(イベール), 2021年5月5日閲覧. https://ja.wikipedia.org/.