ジャック・イベール
本作品の作曲者ジャック・イベールは1890年に実業家の父親とピアニストの母親の間に生まれ、幼い時からバイオリン、ピアノを学んだ。学校卒業後は父の経済的困難を助けるため、パリ音楽院への入学を延期、家庭教師や伴奏者、作曲家として生計を立てた。さらにこの時期にはポール・ムネの演劇芸術の講義を受講するなど 演劇や音楽以外の芸術への興味を深めた。
ようやくパリ音楽院に入学したのは1911年、イベールが21歳の年だった。パリ音楽院ではアンドレ・ジェダルジュ(対位法)、ポール・ヴィダル(作曲)らに師事し、のちに「フランス六人組」として活躍するアルトゥール・オネゲルらとの親交を深めた。
第一次世界大戦がはじまると、自ら志願して従軍、担架運搬人および海軍士官を務め、研究および作曲活動は一時中断された。大戦後、音楽院に戻り作曲活動も再開、1919年にカンタータ《詩人と妖精》がローマ大賞を受賞した。さらに翌年ヴィラ・メディチの研究員として指名され、3年間ローマに滞在した。この間シチリア島やチュニジアを旅行した経験をもとに管弦楽曲《寄港地》を作曲し、本作品をはじめ、ローマ留学中に作曲した楽曲の初演が次々と好評を博したことで、作曲家としてのイベールの名はフランス内外で認知されるようになった。
留学から帰国後、イベールは様々なジャンルの楽曲の作曲に着手する。舞台音楽やバレエ音楽、さらに自身初の協奏曲《チェロと管楽器のための協奏曲》を作曲した。本作品が作られた1935年前後から、イベールは木管楽器にスポットを当てた作品を多く書くようになり、《フルート協奏曲》や今回の演奏会で演奏する 《アルト・サクソフォンと11の楽器のための室内小協奏曲》も同じ時期に作曲された。
本作品はオーボエ、クラリネット、ファゴット(バスーン)のリード楽器3本によって演奏されるが、この編成は三重奏の中でも特に、「Trio d’anches(トリオ・ダンシュ) 「anche」はリードの材料となる「葦」を意味するフランス語。通常、「Trio d’anches」といった場合にはオーボエ、クラリネット、ファゴットの3本によるものを指すことが多いが、広い意味では「リードを音源とする木管楽器の三重奏」全般を指す。*1 」と呼ばれる。これは1927年にフランスのバスーン奏者フェルナン・ウーブラドゥがオーボエ奏者のミルティル・モレル、クラリネット奏者のピエール・ルフェーブルとともに「Trio d’anches de Paris(パリ木管三重奏団)」を結成したことに由来すると言われている。ウーブラドゥは未だかつてなかったこの編成の曲を当時の一級作曲家たちに 委嘱、初演し、ヨーロッパに普及させことを目的に立ち上げたと言われており、1930年代には先述の「フランス六人組」のメンバーであるジョルジュ・オーリックやダリウス・ミヨーをはじめ、フランスを中心に数多くの曲が作曲された。本作品もウーブラドゥと三重奏団に寄せて作曲されたものと言われている。
本作品はタイトルの通り、5つの短い楽章で構成されており、第1, 5楽章が4分の2拍子、第2, 4楽章が4分の3拍子、第3楽章が8分の6拍子、と回文構造になっている。一つ一つの楽章は短くシンプルな三部構成となっているが、アーティキュレーションや音量記号は細かく綿密に書き込まれており、色彩、テクスチャーの微妙な違いを楽しむことができる。
シンプルで洗練された構成の中に、軽妙洒脱な``歪み''と幸福感に満ちたあたたかいハーモニーが絶妙に織り混ぜられ、「折衷主義」と評されるイベールの持ち味が存分に発揮されているが、本作品はそれに加え、喜びや高揚感、きゅっと胸が締め付けられるような切なさ、といった「人間味」がところどころに顔を覗かせ、どこか親近感を覚える。先述の通り、イベールは音楽に限らず、演劇や舞台芸術にも造詣が深かったこと、および海軍への従軍、ローマへの留学などによりパリを離れて生活を送った経験が、彼の作品に単にお洒落なだけでは終わらない「奥行き」をもたらしているのではないだろうか。
「新型コロナ」という言葉がニュースの見出しに躍るようになってから早2年以上が経った。コロナ禍、と呼ばれる時勢の中で、集まって演奏することはおろか、個人練習することさえままならない時期もあった。仕事以外の予定はほぼオーケストラ、という毎日を送っていた筆者にとって、演奏会や練習の中止は、予定表ばかりか人間関係においてもぽっかりと穴が開いてしまうことでもあった。
「仕方ない」—— “新しい生活” に少しずつ適応していく一方、行き場のない気持ちにどこか息苦しさを覚えるような毎日の中で、心を慰め、あたたかい火を灯してくれたのは、やはり音楽だった。
期せずして本作品の作者イベールも、二度の大戦をはじめ、時代の流れの中で何度も作曲活動を中断させられながらも、生涯音楽に携わり続けており、音楽がそれに関わる人々の人生と不可分のものであるということを物語っているように思う。本作品、ひいては今回の演奏会を通じて、皆さんが音楽はいつどんな時もすぐそばにあるということを感じ、先行きの見えない日々の中で、刹那、様々な煩わしさから心を解放し、あたたかい灯りで満たすことができるひとときとなれば幸いである。