プロコフィエフ
セルゲイ・プロコフィエフは1891年、ロシア(現在はウクライナ東部のドネツク州)の小さな農村に生まれた。幼少期から母に音楽を教わり、9歳にして最初のオペラを作曲して以来、グリエール、タネーエフ、リムスキー=コルサコフ、チェレプニンといったロシアの高名な作曲家たちに学んだ。1918年にはアメリカへ亡命し、その後も欧州各国に移住したが、外国での作曲活動に限界を感じて1934年にソ連へ帰国した。戦時中も作曲を続け数多くの傑作を残し、戦後は体制からの批判を受けたものの、1952年に最後の交響曲となった交響曲第7番を作曲するまで創作活動を続けたが、今日からちょうど70年と1週間前、1953年3月5日に亡くなった。これはスターリンの死と同じ日であった(出谷 2003)。
《シンデレラ》は、プロコフィエフが生涯に作曲した8曲のバレエ作品のうち、有名な《ロメオとジュリエット》に次ぐ7作目である。1941年に着手されたが、第二次世界大戦の激化を受け、プロコフィエフはトルストイの『戦争と平和』を原作とするオペラなど戦争に関わる作品に注力したため、本作品の初演は戦後の1945年11月となった(小倉 1980)。
プロコフィエフの舞台作品に関する評価として興味深いのは、中村靖によるものである。中村は「プロコフィエフの真骨頂はロシア特有の抑揚を作品の中に取り入れたことにあった」と評し、その背景にはソヴィエト時代の弾圧があったと述べている。ソヴィエト体制下において、音楽における抑揚は言語における抑揚と関連付けられた。言語とはすなわち民族であるから、音楽の抑揚はロシアの民族主義を表現するものと見做され、そのような思想に適った作品が求められたのである(中村 2003)。
また、ソ連体制による“おとぎ話を利用したプロパガンダ”は、本作品の背景を語るうえで重要な側面である。菊間は、《シンデレラ》を題材とした2作の映画(それぞれ1940, 1947年公開)が「おとぎ話の枠組みを利用して夢は叶うことを可視化し、ソ連の人々の啓蒙に一役買った」と述べ、プロコフィエフの《シンデレラ》にも同様の時代的背景があったのではないか、と指摘する(菊間 2017, 19)。
こういった状況の下で、ソヴィエトにおける劇音楽の形式には変革が求められた。従来の西欧的な形式では、先述のような要請に応えることはできなかったからである(中村 2003)。プロコフィエフは、自身の音楽の特徴として、古典的であること、革新的であること、動的であること、抒情的であること、といった4つの要素を挙げている(小倉 1980)が、そのうち抒情性に関しては、チャイコフスキーやムソルグスキーの系譜に連なるものであり、同時代ではショスタコーヴィチやカバレフスキーの作品にも見られる特徴である(中村 2003)。
ところで、先述したように本作品は1941年に着手された後、一時中断されている。小倉によれば、プロコフィエフが本作品の作曲を再開し急ぐ気になったのは、ハチャトゥリアンの《ガイーヌ》の初演(1942年)に偶然立ち会い、刺激を受けたためであるという(小倉 1980)。
《ガイーヌ》はコーカサスの集団農場を舞台としたバレエで、そのうちの1曲〈剣の舞〉は日本でも特に有名である。ハチャトゥリアンはアルメニア出身の作曲家であるが、彼もまた、ソヴィエト体制下で民族主義的な作品を手がけていた。しかし、その方法はショスタコーヴィチ、プロコフィエフら主流の方法とは異なっていた。彼の作風の特徴は、民族音楽を利用しつつも、旋律や主題を直接利用するのではなく、リズムや即興性といった要素を取り入れたことである。この特徴はむしろ、同様に民族音楽のエッセンスを抽出して再構成したバルトークの作風に類似している(中村 2003)。
プロコフィエフ自身が「伝統的な古典的バレエの範疇で作曲した」と述べた(小倉 1980)通り、《シンデレラ》はグリンカやチャイコフスキーといったロシア音楽の主流・正統派の流れを汲む作品として評されることが多い。この立場からすれば、プロコフィエフとハチャトゥリアンの音楽に直接の関連は見出しがたいと考えるのが妥当であろう。
しかし筆者には、《シンデレラ》に関しては、ハチャトゥリアンとは無関係の異なった音楽性による作品であるとは断言しがたいようにも思える。特に、本日7曲目に演奏するワルツは、喜ばしい場面のはずであるのに、どこか翳りや引きずるような重さがあり、《仮面舞踏会》や《ガイーヌ》といったハチャトゥリアン作品との類似性、親和性を感じさせる。この類似性を踏まえると、《ガイーヌ》に関する前掲の逸話は非常に興味深い 半ば私事ではあるが、筆者を含め、本日の出演メンバーのうち少なからぬ割合の奏者が、昨年11月に、当団関連団体であるOrchestra Estの第6回演奏会において、ハチャトゥリアンの《仮面舞踏会》《ガイーヌ》の演奏を経験している。*1。
個人的感想と憶測の域を出ないが、プロコフィエフが《ガイーヌ》の初演から受けたという刺激が、単なる作曲作業への焦燥感だけでなく、音楽的な影響をも彼に与えていたとすれば、この類似性にもいくらかの説明がつくかもしれない。加えて、この後に演奏するバルトークの《管弦楽のための協奏曲》と本作品とを繋ぐ隠れた背景として、「ハチャトゥリアン的な民族音楽書法の影響」を挙げることも可能かもしれない。
バレエ音楽は序曲と49曲の小曲からなる。筋書きは一般的に知られている童話の物語と同じであるが、各曲ごとの詳細な情景を下記に記す。各曲の番号と内容は(小倉 1980)によった。
シンデレラは、父親、継母とその連れ子である義姉2人と一緒に暮らしており、日々、継母と義姉たちにいじめられていた。
ある日、宮廷で舞踏会が開かれる。家事を押しつけられているシンデレラをよそに、舞踏会に着ていく服を巡って義姉たちが喧嘩を始める (第1曲)。シンデレラが優しかった母を思い出し、父親と一緒に母の思い出話をしていると継母たちが現れ、父と継母が口論をする (第2–3曲)。そこに施しを求めて老婆がやってくる。この老婆は物乞いのような身なりをしていたため継母たちは老婆を追い返そうとするが、シンデレラは自分の少ない食事を老婆に分けてあげる (第4曲)。
継母と義姉たちが舞踏会へ出かけた (第5–7曲)後、一人残されたシンデレラのもとに先ほどの老婆がやってくる (第8–10曲)。実はこの老婆は妖精であった。老婆の妖精が四季の妖精を呼び寄せると、4人の妖精がそれぞれ服や飾り物をシンデレラに贈る (第11-15曲)。美しく着飾り出発しようとするシンデレラに対し、老婆は、真夜中に帰ってくるように、さもなければ魔法が解けてしまうと忠告する (第16–17曲)。シンデレラと妖精たちは馬車で宮殿へ向かう (第18曲)。
舞踏会では廷臣、騎士、少年たちがそれぞれ踊っている (第19–24曲)。そこに王子が登場する (第25–27曲)。王子たちは嫌々ながら貴婦人たちの手を取って踊る。王子は義姉たちとも踊り、義姉たちは有頂天になる。
そのとき、シンデレラが到着し、一同はその美しさに目を見張るが継母たちはシンデレラであることに気づかない (第28曲)。王子とシンデレラは踊り、互いに愛情を抱く (第29–32曲)。ご馳走が振る舞われ、シンデレラはオレンジを3つ受け取って義姉たちに分けてやる 第33曲ではプロコフィエフのオペラ《三つのオレンジへの恋》の〈行進曲〉が旋律として演奏される。《三つのオレンジへの恋》も《シンデレラ》同様、童話をもとにした舞台作品である。*2 (第33–34曲)。王子はシンデレラに愛を告白し、一同は華やかに踊る (第35–36曲)。
時計が真夜中の鐘を打つとシンデレラは慌てて去るが、その際に靴を片方落としてしまう。王子は見つけた靴を手がかりとしてシンデレラを捜し出すことを決意する (第37曲)。
王子は靴職人にシンデレラの靴を見せ (第38曲)、シンデレラを捜してロシア、スペイン、東洋と世界中を駆け巡る。王子は各地で美女に遭遇するが、美女の誘惑に負けず強い決意でシンデレラを捜し続ける (第38–43曲)。
一方、翌朝、家で目覚めたシンデレラは、履いてきた片方の靴を懐に隠す。義姉たちがやってきて、再びシンデレラは喧嘩に巻き込まれる (第44–45曲)。そこに王子が訪れ、義姉と継母たちに靴を履かせてみるが、入らない (第46曲)。そのうちにシンデレラの懐から靴が滑り落ち、それを見た王子が持ってきた靴をシンデレラに履かせると、ぴったりと入る (第47曲)。王子はシンデレラこそ昨夜の女性であったと知る。二人は幸せのワルツを踊り、一同の祝福のうちに幕 (第48–49曲)。
本日演奏する組曲第1番は、初演の翌年に編まれたもので、第1–2幕の曲によって構成される。以下、解説は主に(藤原 1998)を参考とした。
弦楽器を中心に、バレエ作品を通じて現れる2つの主題が提示される。
バレエ版では第1曲前半。ショールを手に持って踊る義姉たちの踊り。踊りの主題が途中でリズムを変えたり転調したりしながら様々な独奏楽器によって受け継がれ、最後は全管弦楽で演奏され締め括られる。
バレエ版では第1曲後半と第3曲。ショールを巡る義姉たちの喧嘩と、先妻(シンデレラの実母)を回想する父親に対して怒った継母たちが仕掛けた口論、2つの喧嘩の場面の音楽。前者は弦楽器による半音階が特徴的な慌ただしい旋律、後者は不協和音を伴う変拍子的な鋭いリズムによって描写される。
バレエ版では第4, 10, 15曲。妖精の主題が穏やかに演奏される。
バレエ版では第25, 27曲。舞踏会でマズルカが演奏されるが、途中、王子の登場を飾る金管楽器のファンファーレによって2度中断される。再びマズルカに戻り華やかに終わる。
バレエ版では第16, 31曲。舞踏会に出かけようとするシンデレラを描写する快活な音楽の後、休止を挟んでシンデレラの踊りの音楽。
バレエ版では第18, 36曲。ソ連の指揮者サモスードはプロコフィエフを「ワルツの王」と呼んだというが、その評価にふさわしい、抒情的で美しく変化に富んだ楽章である(サフキーナ 1981=2007, 192–193)。2オクターブもの広い音域にわたるワルツ主題が、ヴァイオリンとトランペットによって情熱的に演奏される。菊間によれば「継母に命じられた仕事をしなければならない現実をつねに意識のどこかに置きながら踊る、背徳感のある短調のワルツ」であり、木管高音楽器とトランペットによる輝かしい挿入句が「哀愁というより、背徳感ゆえの高揚」を表現する(菊間 2017,. 28–29)。
バレエ版では第37曲。金管の強奏による不協和音に、木琴とウッドブロックによる振り子時計の表現が緊張感を加えるなか、切り裂くようなトランペットとホルンの旋律がシンデレラの焦燥感を強く印象づけ、「容赦なくヒロインを現実に引き戻す」(菊間 2017, 28)。真夜中を知らせる12回目の鐘が鳴ると、導入部の主題が劇的に回想され、大団円を迎える(物語としてはまだ続くのだが)。
プロコフィエフは、初演に際し、本作品を「できるだけ『踊りやすく』し」たと、また「古典バレエの伝統にしたがって書いた」と述べている(プロコフィエフ 1964, 198)。実際に本作品は、ワルツ、マズルカ、ヴァリアシオン、ガヴォットといった、バレエ作品ではお馴染みの名前の踊りが含まれている(サフキーナ 1981=2007, 194)。しかしながら、形式は古典に則っている一方で、各楽曲の音楽的内容にはプロコフィエフの独創性が存分に発揮されている。また管弦楽法の面からも、20世紀の作品らしく多彩な楽器を巧みに用いた本作品は、《管弦楽のための協奏曲》とは異なった側面から、オーケストラの様々な魅力を伝えてくれるであろう。
プロコフィエフはまた「バレエ作者としては、生きた感情を持ち、つらい苦しみに耐える人間の姿を伝えたい」とも記した(藤原 1998)。素直に読めば主人公のシンデレラについて述べたと考えられるが、時代背景を踏まえると、ソヴィエト体制下で厳しい状況に置かれたプロコフィエフ自身、周囲の芸術家たち、家族(前妻は約8年にわたり拘束された)との関連を指摘することもできるかもしれない。前述したプロパガンダについても、菊間は、ソ連のおとぎ話には体制に肯定的な面だけではなく否定的な面もあったとする研究を踏まえ、プロコフィエフが暗いワルツや時計の音楽 (組曲の第7–8曲)に「深い風刺」として体制への批判を潜ませた、という解釈の可能性を示している(菊間 2017, 30)。
最後にもう一つだけ、プロコフィエフの記述(サフキーナ 1981=2007, 192)を引用しておきたい。
このバレエに望むことは、このおとぎ話の飾り絵の中で生き生きとした、感受性の高い、役になりきった人々を観衆に見てほしいということである。
残念ながら本日の演奏会にバレエ団はいないが、読者の皆様におかれても、シンデレラをはじめとする登場人物の表情や各場面の情景を想像しながらお聴きいただければ、本作品をより一層楽しむことができよう。管弦楽の魅力を存分に引き出したプロコフィエフの音楽は、それを可能にする抒情性と幻想性を十二分に備えていると、筆者は信じている。