リヒャルト・シュトラウス
《メタモルフォーゼン》は、リヒャルト・シュトラウス (1864–1949) が第二次世界大戦最終期、ナチス・ドイツ崩落直前に作曲した作品である。
ドイツの後期ロマン派を支えた偉大なる作曲家シュトラウスは、85年の生涯の中で幾度となく作風を変容させてきたが、本作品は彼の作品の中でも特に異彩を放っている。その特異性は作品名からも受け取られる。まず、「23の独奏弦楽器」というように、本作品は23人=ヴァイオリン10人+ヴィオラ5人+チェロ5人+コントラバス3人による独立したパートからなっており、それぞれが実質的にソリストとして音を奏でている。通常の弦楽アンサンブルでは「弦五部」と括られることが圧倒的多数であり、このようなケースはシュトラウスの作品のみならず、この年代のクラシック音楽全体を見渡しても類を見ない。また、曲名に「習作」と付しているように、(作曲当時すでに81歳であったにもかかわらず) これまでの作曲技法に囚われないような、新たな表現方法を実験的に模索していたことが推察される。
以上のような特異性もあり、この大作を筆者のような素人が体系的に「解説」することは不可能であり、固定された枠組みに当てはめることは不適当だと考えている。そこで本稿では、今でも諸説が囁かれている《メタモルフォーゼン》の真意について、筆者の考えを述べたい。
「メタモルフォーゼン」という語は「メタモルフォーゼ (Metamorphose) 」=「変容」の複数形である。ではシュトラウスが一体何に変容を見出したのか、という問いに対する明確な答えは存在しないが、筆者は「世の中」「シュトラウスを取り巻く人々」「シュトラウス自身」といったあらゆる変容を回顧しているのではないかと考える。
シュトラウスは、実に目まぐるしい時代の変化の中で生きた。マーラーらとともに支えてきた後期ロマン派からシェーンベルクの12音技法に代表されるような無調音楽への変遷、といった音楽史的な変容もあるが、シュトラウスが生まれ育ったドイツそのものも大きく変わり果て、彼の音楽人生に影響を与えたに違いない。大戦で全財産を失った [1, p. 139] だけでなく、ナチス政権下で音楽家としての立場を脅かされるなど、指揮者・作曲家としての絶頂をこの時代に迎えてしまった人物としての苦難がある。また本作品が作曲された1944–45年にかけては、自らが音楽監督をも務めたウィーン国立歌劇場をはじめとして、多くの歌劇場が戦禍で破壊された [1, p. 179]。本作品には、こうした「変わり果てた、失われし故郷」に対する悲痛な嘆きが少なからず込められているだろう。
実直で真面目、客観的で正直、そして誠実で正義感の強い人間だったといわれるシュトラウスだが、そのような性格もあってか、彼はライフステージの各所である種の「裏切り」を経験している。その一例として、ナチス政権下で帝国音楽局総裁を(一時的に)務めたエピソードがある。就任演説で「全ドイツの音楽生活の新たな構築へ向かう非常に大事な一歩」と述べているように、シュトラウスはあくまでも芸術的使命感から就任オファーを受け入れたが、後に彼をプロパガンダに利用しようとするナチス政権の現実に直面することとなる。結果、ユダヤ人台本作家の起用をめぐるトラブルから、彼はわずか3年で総裁辞任を申し出ることになる [1, p. 170]。シュトラウスは彼の輝かしい才能・キャリアゆえに、人間の醜い部分に度々振り回されてきたであろう。こうした「人間の二面性」のようなものも、本作品の中で暗示されているように感じられる。ちなみに本作品には、葬送行進曲として知られるベートーヴェンの《交響曲第3番「英雄」》第2楽章のパロディが各所に散りばめられている [2, p. 620]。英雄ナポレオンの皇帝即位に失望したベートーヴェンのように、シュトラウスもまたヒトラーという英雄に幻滅し、境遇を重ね合わせていたのかもしれない。
最後に、彼自身の作曲家としての変容にも触れておきたい。先にも述べたように、シュトラウスはロマン派後期を支える偉大なる音楽家として、絶対的な地位を築いてきた。しかしその裏では、ともすると時代に取り残されかねないようなプレッシャーと隣り合わせに生きてきたに違いない。「近代」の市民社会が終わりを告げ、「現代」の大衆社会が幕を開ける。それとともに、19世紀に親しまれていたクラシック音楽も徐々にプレゼンスを失い始める。第一次世界大戦近辺では、シェーンベルクが無調音楽へと踏み出し、ストラヴィンスキーは《春の祭典》で物議を醸し、あるいはあらゆる文化領域においてアメリカニズムが世界スタンダードとなりつつあった。そのような時代に生き抜いたシュトラウス作品には、もはや「過去の人」となりゆく運命を背負いつつも、様々な角度で作風の変容を試みた形跡がある。メンデルスゾーンのような正統ロマン派の様式を装うこともあれば、まるでシェーンベルクを彷彿とさせる近現代音楽まで手掛けている。このような激動の時代に、シュトラウスが生きた意味はやはり大きいと考えられる(参考までに、同年代に生まれたマーラー、ドビュッシーはそれぞれ1911年、1918年にすでに他界しており、この渦に巻き込まれることなく「自分の時代」を謳歌したことだろう)。当時の音楽家としては比較的長い人生を歩んできたシュトラウスだが、80歳を超え死というものを意識したのか、激動の時代を生き抜いた人生を回想せずにはいられなかったのではないだろうか。本作品でから受け取れる希望や期待、そして絶望や諦念の描写は、彼自身の人生そのものを反映しているともいえるかもしれない。
《メタモルフォーゼン》を当団の演目に加える構想は、実は2018年ごろから存在していた。それから今日に至るまで約3年の月日が経ったわけだが、その間世の中は様々な変容を強いられた。期せずして、ではあるが、感染症が痛ましくも拡大し続ける今日の世の中を、本作品に重ね合わせてしまうのは筆者だけだろうか。失われし日常、幾度も見えかけては閉ざされる希望の光、度重なる落胆。本作品が残す余韻を、ぜひ感じ取っていただきたい。偉大なる作曲家シュトラウスに最大の敬意を評しつつ、無言のレクイエムを奏でる。